ヨガ魂

ヨガをする為のヒント、参考

ヨガのすすめ(ヨガとの出会い)

中国への旅

1987年大学を卒業して1人で中国旅行にでかけた。

あてのない旅で、何かしたいことを見つける旅だった。

 

旅行も3ヶ月目に入りチベットのラサにいた。

この年の10月ラサで暴動が起こった。その少し前のことだ。

 

ラサにはたくさんの日本人旅行者がいた。

国境までの道が通れなくてみんなラサで道が復旧するのを待っていたのだ。

中国以外の国へ行くことなど、その時まで考えてはいなかった。

けれどラサにいる多くの日本人達と接している間に私もネパールへ行かなければという気持ちになっていた。

朱に交われば赤くなるようだ。

 

今思えばラサが人生のターニングポイントだった。

ラサからネパールの国境越えはとても印象深く、チベット高原から見えるヒマラヤの山々や国境のあの静寂さ美しさは一生忘れられないだろう。

空があんなにも低く音が何もない世界がそこには広がっていた。

 

精神世界との出会い

それまでの人生でヨガや宗教、精神世界といった世界とはまったく無縁のところにいた。ネパールで最初に出会ったのが精神世界という言葉だった。

ネパールにはその手の日本語の本がたくさんあった。

昔で言うところのヒッピーや今でいうところのバックパッカーがネパールのカトマンズには集まっていた。

日本で考えていた宗教とネパールで触れる宗教とは全く違っていた。

新鮮な驚きがそこにはあった。

 

ネパールのポカラという村から雪をかぶった山を毎日見ていると神様が本当にいるように思えてくるから不思議だ。

そうしてだんだん瞑想や悟り、解脱などという精神世界の言葉に興味をもちはじめた。
「精神世界マップ」という本があった。

 

ヨガとの出会い

最初にヨガの手ほどきを受けたのはネパールでゲストハウスをしていた日本人のマスターだった。

見よう見まねでやってみたが身体が硬いのだけが印象に残った。

別にどうってことはなかった。ただの体操だった。

ヨガは悟りや解脱への方法なんだ、という話の方が面白かった。

それから日本に帰るまでの半年間、暇を見つけては瞑想をした。

そして心に対する好奇心はどんどん強くなっていった。

 

佐保田ヨーガとの出会い

その旅はネパールからインド、スリランカ、タイそして香港を旅して日本に帰ってきた。先ず日本でヨガを始めるため本を読むところから始めた。

今のようにヨガスタジオをなかった。

そこで「1億人のヨーガ」という本を読みながら順番に見よう見まねでアーサナを覚えていった。

そのあと「ヨーガ入門」を片手に、朝早く起きたっぷり2時間は練習をした。

最初にらくだのポーズがあり、その後の前屈では背骨がポキポキとなっていたのを思い出す。

シャヴァアーサナも十分にとり気持ちよく目覚めるまで横になっていた。

終わった後は背筋も伸び、しゃんとして頭の中もクリアーで澄み切った感じがして、とても気持ちが良かった。

 

仕事にしようと思う。

そんな生活が1年半は続いた。

毎朝のアーサナ日課とし色々な精神世界の本を読みまくった。

勉強をしたり体験をしていくうちにヨガは全ての道に通じていると、ある時感じた。

限りなく深くその教えはつながっており、一生かけても簡単にはたどり着けない奥深さを感じた。

人生をなめきっていた俺にはショックな出来事だった。

何をしたらよいのか迷っていた俺はこれを仕事にしようと思った。

仕事にするには、まずは習わなければいけないと思いヨガ教室に通うことにした。

 

加藤ヨガとの出会い

ヨガ教室は都内にも数えるほどしかなく、吉祥寺にあった加藤ヨガという教室に行ったのがきっかけで本部のある新宿の加藤教室に通うようになった。

そこでのヨガは今までとは違うヨガだった。

ヨガ先生の孫弟子にあたる加藤先生のヨガは健康法としての一面が強く、社会に役立つ身体と心を育てていく事がメインであった。

自分の事しか考えられない俺は物足りなさを感じながらも自分と向き合う事を叩き込まれた。

 

加藤ヨガのヨガ

毎月選ばれたアーサナがあり、そのアーサナをする為に必要なトレーニングをしていくというプログラム構成だった。

筋トレや修正法や操体法をとりいれ、身体のゆがみを取り除いて身体を整えていくというものだった。

ヨガとは調和であり奉仕だった。

指導員養成コースでは、社会とのあり方、人間関係のあり方などを教えてくれた。

そこで学んだ考え方は今でも役にたっているが、若かったのでもっとアーサナを勉強したかった。

 

アイアンガーヨガとの出会い

加藤ヨガの教室にアイアンガーの著書「ハタヨガの神髄」が置いてあった。

加藤ヨガの指導員養成コースを終えるころ、アイアンガーヨガの教室を紹介している本を見つけた。

当時吉祥寺にあったアイアンガーヨガ研究所が紹介されていた。

それで、その門をたたきアイアンガーヨガを学ぶようになった。

その後アイアンガーヨガにどっぷりはまっていくことになる。

その後、そこの先生がアイアンガーヨガからアシュタンガーヨガへ変わってしまった。

しばらくアシュタンガーヨガをやるが、腰痛がでたり今ひとつだった。

しばらく独学の時期を過ごし再びアイアンガーヨガに戻ってきた。