感覚と思考
ついこの前、体の柔らかい何でもアサナができる女性がヨガのレッスンを受けに来た。
レッスンが終わったあと、私はいつも全体を捉えてヨガをしているから、細かい指示を受けると頭を使って大変だというフィードバックがあった。
どう言う事だろう?と考えてみた。
身体の色々な部分を細かく意識させて動かしていくスタイルのヨガなので慣れないと確かについていけない部分もある。
特に身体の柔らかい人に同じような傾向が見られる。
膝を伸ばしてと言っても伸ばし方が分からない。
痛いと聞いてもどこがいたいのか、どんな痛さなのか分からない人もいる。
なるほど、こういう人達は雰囲気でやっているのだ。
スポーツクラブでよく見られるのだが、身体を動かしてさえいればいい。というタイプだ。前にいるインストラクターの真似をして大音量で音楽をかけ一種のトランス状態へと導いてくれる。終わった後の爽快感や充足感は堪らない。スポーツクラブに限った事ではない。イメージが大切なのだ。好いイメージが。
ヨガも雰囲気でするものなのだ。スタジオに入った瞬間の雰囲気、ヨガをしている時、終わった後の感覚。それがその人を魅了してくれる。全てが感覚なのだ。
身体に知性を、何て言ってもナンセンセスである。
そんなものを求めてはいないのだから
ガンをしてから時々お腹が痛くなるときがある。
食事をよく噛んで味わって食べていないとよく起こる。
だから、よく噛んで食べるようにしているのだが、これも長年の習慣で忘れてしまいがちで飲み込んでしまう。
そうすると調子が悪くなる。
これは何も食事だけの事ではなく、人生全てに当てはまる事でよく味わい愛でていないと、どこか調子が崩れていく。
アサナ1つとっても、よく自分の身体をフォーカスして内に入っていかないと、やればやるほど調子が悪くなっていく。
諸刃の剣である。
この日本の社会もマクロ的な捉え方ばかりでミクロの事はあまり問題視されない。
物価は上昇していない。とテレビは言うが、いや上昇しているでしょ。ミクロの問題は落ちこぼれとか敗者とか言って見て見ぬふりをしている。
全てがこうやってつながっていく。
話が大きくなってきたのでやめます。