葬儀と宗教心
父の棺の中に、四国を廻った時の納経帳を入れてあげる事ができた。
三途の川を渡り無事成仏する事ができるだろう。そして来世への準備をしている事だろう。
葬儀の挨拶で、感謝、懺悔、奉仕という事を実践する事をお話しした。これは、自分を癒す事になる。
今までしてもらった事を、時間をかけて小さな事まで思いだす。感謝。
次に迷惑をかけた事を、やはり小さな事まで思いだす。これは少し厄介かもしれない。謝る事は苦手だし非を認める事はとても苦しいし難しい。懺悔。
そして最後にしてあげた事。奉仕である。
この3つを私は宗教心と呼ぶ。全ての行いが、この3つに分類される。
父の死をきっかけに、この事を思いだした。そして故人から周りの人へ、この内観をしていくきっかけに仏教と葬儀が結びついているのだと自分なりの意味を見つけだした。
最近では、心拍数を下げ心穏やかに過ごす事を考えている。心が静かになって最高のパフォーマンスが発揮される。世の中はその逆を行っているような気がするが、更にその先にある境地である。
身体の力を抜くというヨガは、その為にやっている。
そして三毒には気を付けなければならない。貪る心。怒り。愚痴。簡単に言えば、これら3つの事である。これらを収める為にも、感謝、懺悔、奉仕の気持ちは忘れてはいけない、これらが行われる時に自分の身体が緊張していないか、よくよく観察してみるとよい。
毎日実践するべき修業と修行が、ここにある。