ヨガ魂

ヨガをする為のヒント、参考

赦すという事

赦し

 


赦せないという思いは、相手を裁くという事である。

そしてその判断を決して疑おうとはしない。


許さないという思いは心の扉を固く閉ざし、自ら作り出した投影を守ることになる。

歪曲した考えの上に幾重にも考えが覆い隠され、分からなくなってしまい、理性から更に遠ざかることになる。

そして自ら疑問を挟む事は難しくなっていく。

凝り固まった投影と、その投影がゴールとして選んだ目的の間には疑問さえ入り込む事ができなくなり、その心は閉ざされ、解き放たれる事は決してない。

 

赦したくないという思いは、さまざまなことをする。

自分が選んだ道を邪魔すると思えるものがあれば、それをねじ曲げ、くつがえし、自分のゴールを必死になって追求する。

その目的は歪曲することであり、それを達成するための方法そのものも歪曲である。

怒り狂って実相を粉砕しようとするばかりで、自らの見解に対立するものには一切関心をもたない。

 

赦すことができずにいる自分を正当化する為に1度手にした価値判断を手放す事ができない。

 

一方赦しはじっと静かにしていて何もしない。

実相のどの側面をも害することはせず、自らが好む外観へとねじ曲げようともしない。

ただ見て、待つのみであり、判断はしない。

 


自分自身を赦そうとする者は、必ずありのままの真理を歓迎することを学ぶことになる。

 


赦しは心から、弱さ、緊張、疲労といった感覚をすべて取り除き、恐れや罪悪感や苦痛などすべてを取り去る。

傷つくことのない強さと力を、あなたが再び自覚できるようになる。

 


赦したくないという思いから生じる攻撃は、赦すという行為と取り替えられる必要がある。

死の想念は生命の想念へと取ってかわることができる。

あなたは攻撃するたびに弱さを招き入れ、赦すたびに強さを招き入れる事になる。

 


すべての赦しはあなたに対する贈り物なのである。

あなたは攻撃することによって自分のアイデンティティーを拒否してしまっているのである。

あなたのゴールは、自分が誰なのかを発見することである。