教える喜びと無力感
喜び
彼女の脚は長年の風雪に耐えてきたせいで膝が痛み、階段の昇り降りがとてもきつく手すりがなければ到底上り下りはできない状態だった。
しかし持ち前の頑張りでスポーツクラブにある階段を一生懸命登って通ってきていた。
数ヶ月前から通常のレッスンとは別に時間を作って脚の矯正を個人的にみるようにしていた。
そんな彼女が今朝息を切らすようにやってきて
「先生!冷凍さていたボンレスハムが解凍されて柔らかくなってきたみたい」
と訳の分からない事を言ってきた。
「何の事?」
と尋ねると、
「先生、硬かった脚が柔らかくなってきたの。今までより動けるようになって、、、」
と、満面の笑顔で話しかけてきた。
さらに、
「つい動けるようになると、動いてしまって、こんど山でテントを張って泊まりにいくの」
「えっ、この冬に!」
彼女の行動力には驚くばかりだ。
効果が現れてきて嬉しかった。良い方向に変化していく事は教えていて1番の喜びだ。
でも、彼女の脚はまだまだ山に行けるような脚ではないのだ。
やっと脚が柔らかくなってきてスタートラインに立っただけなのだ。
その事を告げても彼女は無理をしてまた膝を悪くしてしまうのだが、その時の彼女の言葉遣いはポジティブな表現に変わっていた。
身体が変わり始めると言葉も変わり始める。
硬くなった脚が柔らかくなったら、それを維持できるように鍛え直さなければいけない。
その為にはもっと練習をしなければいけないのだが、そこまで指導しきれない自分の弱さと足りなさを痛感した出来事だった。