全ての人にヨガを
「全ての人にヨガを!」
これがヨガを教えていく上でのテーマの一つです。
言い換えれば「ヨガは私たちのすべてである」
2019年にガンになり身体の1部を切除し障碍者になった時、長年続けてきたヨガを止めようかと思った時、この言葉を目にしました。
なぜかこの言葉に勇気をもらいました。
今までのヨガの取り組み方では、この先続けていけなかった。
ガンになるまでがんばったのだ。(本当かな)
この病気になることで、すべての人に、どんな人でもできるようなヨガを教えていくという新たなヨガをしていくというテーマが与えられた。
なので、ヨガをしていて身体を観る視点がだいぶ変化した。
それは基本的なことであり、今まで大事にしてこなかった部分でもある。
というか何が大事なのかよくわかっていなかった。
今まで教えてくれていたのに、そこに注意がいかなかった。
パフォーマンスをあげることやアサナが上手になることに視点が向いていた。
そんなことより、もっと大事なことがあった。
かなり世の中に流されてしまっていた。
意識の探究
アバターコースへの参加は実に12年ぶりになる。何を思ったのか突然行ってみようという気になった。しかも家族で参加する予定だったのだがコロナの影響で高校生の子供と2人での参加になった。とりあえず2日間最初のリサーフェシングというコースを受ける事にした。
アバターコースとは意識の探究をするワークショップで、ハリーというアメリカの人が作ったプログラムで、本に書かれているワークを順番にこなしていく。課題を読んだり説明を聞いたり、DVDを観たり全部出ると9日間ぐらい日数がかかる。
ヨガでは身体の事だけをしていれば良いというわけではなく、学習をする事も含まれている。昔で言えば聖典を読んだりするのだろうが、現在では色々な方法が溢れている。
20年以上前にこのアバターコースをヨガの生徒から知った。
その後スピリチュアルブームの時にアバターマスターと呼ばれる人達に出会った。
その時、今回受けたリサーフェシングを受けた。その後のコースは時間もお金もかかるので受けないでいたが、自分よりもパートナーの方が、毎回送られてくる情報誌を目にしてはまってしまった。次から次へとコースを受け、オーストリアやアメリカで開催される上級コースにも参加して、それに引っ張られるようにコースに参加してきた。
最初は少し高額だと思うが復習は安く、大病をしたり歳も重なり子供も大きくなり、ものの見方も変わって来ているので改めてコースを受けてみようという気持ちになった。
コースに参加してみると以前とは違った視点で観れるようになった。
小さかった頃に住んでいた場所が大人になってみると、改めて違いに気づくような感じでもあった。
アバターの言葉でいうと信念に気付いて注意が解放された。
まさしくリサーフェシングのテーマの1つでもある。
そしてもう少し学び直してみたくなった。
以前は全てが仕事として考えてしまっていたのだが今はそういう視点ではなく体験してみたくなった。そこから何が観えてくるのかに興味が湧いてきた。
俺の腰椎
俺の腰椎
腰の骨が潰れたようになって変形してしまっている。レントゲンを見ながら医者は言った。
どこでそうなったのか?過去を振り返っても何もでてこない。
「重いものを持ったりラグビーのような激しい運動をしたりしてきたでしょう?」医者は聞くともなしに話しかけてかたが思い当たる事は何もなかった。
腰の痛みを感じるようになったのは、アシュタンガーヨガの練習をするようになってからだ。今から25年くらい前だ。30過ぎという年齢的なものもあったのだろうが、それまでは腰痛になった事もなかったし、その原因がどこにあるのかも分からなかった。
それからは、自分の身体を使って腰痛について学ぶ事にした。解剖学や他のボディワークをしてみたりして、ヨガの中で自分の身体を見つめてきた。なんとなく良い時期があり、いったん痛みだすと歩けなくなるほどの痛みに襲われたりもした。
いちど駅のベンチに座ったきり動けなくなった時はどうなる事かと思ったが時間が経つと段々と回復していった。
そんな事を繰り返しながら7年前アイアンガーヨガの試験を受ける時に練習をしていて、また腰痛が再発した。ある程度身体が柔軟になってくると腰痛が出てくる。
その時になって初めて病院に行った。そしてそこで撮った自分のレントゲンを観て唖然とした。
病気や怪我とはこんなものだ。
お釈迦様が云うように避けては通れないものなのだ。
いや、もっと早く医者に行けと云う人もいるが、なかなか行きたくない。
道に迷っても直ぐに人には聞けないタイプで、自分で何とかしようと足掻いてしまう。
足掻いて手遅れになってしまう事もあるかもしれないが、まぁしょうがないと割り切って終わりなのだ。
思えば遠回りばかりしてきた。
全てがこんな調子で嫌になるが、この腰が何を告げようとしているのか、それは自分でしか分からない。
対角線
足から学ぶ事は多い。
足の上に身体が載っていて、土台になっているからだ。
その足の影響力を考えた事があるのだろうか?
足が骨盤と繋がっていかない。
地球と自分が繋がっていかない。
練習していると気づく。
外踵をしっかり床につける。
そしてモモの内側を伸ばして骨に引き寄せる。
対角線に身体は繋がっていく。
これで地球のエネルギーがムーラダーラへとつながっていく。
勿論自分から大地へのアクセスもしていく。
それが内踵だ。
外と内のバランスが出来上がって流れが完成していく。
左右差のアンバランスが身体におよぼしている影響を、考えてヨガはするべきだ。
呼吸にも影響している。
腕にも同じ事が言える。
胸への繋がりだ。
腕の事はまたいつか。
ヨガをどのように学んできたか。
ヨガをどのように学んできたか?
23歳の春インドから帰国後、独学でヨガを始めた。当時は今のように情報が溢れていたわけではなかったがブームがあり、それなりに巷に浸透し始めていた。本も数冊でており、本屋で目にする事ができた。その本を1冊購入して、そこから本格的にヨガ人生がスタートした。
そこで守っていた事、気に入った事は「無理をしてはいけない』という事だった。学生の頃結構無理をして部活動をしてきたので、この言葉はとても新鮮に響いた。
先ずは本に書かれているアサナを順番にやって覚えていくというものだった。疲れたらシャバアサナを入れ最後までやってシャバアサナにたどり着く。時間にして2時間くらいはかかった。毎朝5時に起きたり、仕事に行く前に2時間早く起きて毎日練習をしていた。
練習を続けながら、教室を見つけたら習いに行ったりしながら学んでいった。だがアサナの順番や種類こそ違ったが多くのヨガがこのスタイルの通ってまで学ぶ気にはなれなかった。
ある日ふと思った。このようなやり方でやっていくと身体は柔らかくなっていくがチカラがないので、他の運動が必要だと。
そこで出会ったのが沖ヨガだ。そこでは他の健康体操などを取り入れていく。特に操体法や真向法やマクロビなど他の良いと思われるものは何でも?取り入れられていた。笑いヨガや腹筋運動やヨガの歌もあった。沖ヨガともまた少し違うのかもしれない。
そこでヨガの枠から離れて他のものを観る事を学んだ。
そこでのヨガはヨガと言うよりは和製ヨガという感が強く日本的な考え方がヨガの中に取り込まれていた。ヨガと言うものは他と結んでどのようにでも変化していくのだ。
そしてアイアンガーヨガを知る事になる。
最初の出会いはハタヨガの真髄の本だった。そして教室を探して見に行った。窓から練習風景を見た。皆んなが壁に向かってドックポーズをしている姿は何十年経っても忘れられない風景だ。
ヨガを始めた1つのきっかけは道具を必要としないと言う事だったが、アイアンガーヨガに魅了されてしまってからは道具を使うになってしまった。そしてどのヨガよりも沢山の道具を使うようになった。
それは身体のバランスを正確に保つためには必要な物であり、1人で練習をしている時には先生にもなる。しかし、頼り過ぎると本末転倒な事も起こるが学ぶ事は多い。
立ちポーズを多くするようにもなった。あるヨガの本に『足は飛び出た内臓だ』という事が書かれていて、その言葉の影響も受けているのだろう。
また、身体をどのように使っていけば良いのかという事も学び始めた。
ホームページのリニューアル
ホームページリニューアル
6年前にホームページをリカオン(今は社名を変更してしている)というSEOに特化した会社に作ってもらって契約をした。高い授業料だった。お金をかけた割には効果はなかった。効果が出ないのに毎月お金を払い続けるほどきついものはない。
契約を1年残してホームページが動かなくなった。何とかならないかと問い合わせたところ、サーバーを変えろと言ってきた。
バージョンの古いソフトで作ったホームページはやがて動かなくなるのは当たり前の事だが(6年前にできてきた時点でサポート終了していた)良い機会だったので自力で作り直す事にした。まだ契約が残っているのでSEOの対策はしてもらえるのだが、効果がないのでは意味がない。
この手の営業はよくかかってくる。正直問い合わせの連絡より業者からの連絡の方が多い。ホームページ関連が多かったが最近は電気代、化粧品、サプリの営業までくるようになってきた。ある営業の人が、見ている人の8割は営業です。と言っていたのをいつも思い出す。
つい先日も営業の電話がきて近くでコーヒーを飲みながらお話しを聞いた。というよりヨガの話をこっちが一生懸命話した。おかげで、なんかスッキリした。こういう営業なら時々受けてもいいかも。なんて思った。
でも基本、営業にお金はかけられない。そんな余裕はない。というか、それだけお金があったら、他に買いたい物がある。営業の人と話をしていてそう思った。
もう、そういうところにエネルギーは注ぎたくないのだ。できる事は自力でやりたい性分なのだが、6年前はヨガの資格も取ったし、ちょっとやってみるかという気にもなっていたので、一部任せてみたのだが結果はでなかった。任せたところが悪かったと言えばそれまでだが、やってみないと分からない面もある。
今はお金の事は極力外して、考えないようにしている。それよりも何を伝えるか、どう伝えるのかを考えている。自分がいなくなっても、来てくれている人達がヨガを続けられるにはどうしたらよいのか。何か残せるものはないのか。そういう事を考えるようになった。
仕事が出来るだけで喜びだと、ヨガは教えている。これもヨガの恩恵の一つなのだと感謝を忘れてはいけない。